ミステリーオタクが考察する 「おしりと御飯」
こんばんは、えむです。
更新2回目にして思っている事を文章化するの難しいなって思い始めています笑
今回はTHE GREATEST SHOW-NEN(グレショー)、第5回公演 「おしりと御飯」について考察していきたいと思います。(ちゃんと考察になっているか不安ではありますが…)
最初の方の記憶が薄れてるのでズレているかもしれませんがそこはあしからず。
以下考察!(ネタバレ含むので注意)
演劇の目線ではなく、あくまでもミステリーが好きな私からの目線なのでぶっ飛んでいるかもしれません。
タイトルの「おしりと御飯」がどういう事を言っていて、伝えたいことは何かを軸にして、考えて行きたいと思います。
タイトルの「おしりと御飯」について
最初に牢獄でお尻を叩かれるところや、家族(オカン抜き)での食事のシーンで、タイトルに則っているところは感じました。
また、正門くん演じるヒョウ柄の謎の人物と物語が進む上で感じる違和感から"不思議な世界"に迷い込んでいる感じはありましたが、どういう意味なのか最終回までよく分かりませんでした。
最終回見て分かったのは、おしりと御飯が"〜と○○"という形から対比されていること。
そうすると、何が対比されているのか?
この物語は小島くん演じる人情が、出所するところから始まります。
足を洗い、次の場面はホームレスの人たちと一緒にご飯を食べるシーン。この場面の最後にヒョウ柄の謎の人物が出てきます。
正門くんって分かってても、とにかくやばそうなヒョウ柄の謎の人物。異質な雰囲気をなぜ演出しているのか?
その次は、オカン抜きの家族でご飯を食べるシーン。
老人ホームで一見楽しそうに見えるけど、大晴演じる新人ヘルパーが末澤くん演じるベテランヘルパーに怒られるシーン。
居酒屋で人情が、仕事を頑張るシーン。
一見、しっかり面倒見てくれるし賑やかそうだけど裏がありそうな居酒屋に感じました。
人情とオカンのシーン。
白米、実物にはびっくりしました(笑)
最後、再び刑務所のシーン。
と、大雑把に言うとこんな感じで話は進んでいきます。
どのシーンも良いところと悪いところの対比がされていると思いました。
そして、この物語最大の謎、ヒョウ柄の謎の人物=[オカン]の存在から、タイトルの意味を考えていきたいと思います。
オカンの存在から、「おしりと御飯」は罪・罰と幸せを対比していると考えました。
罪を犯して捕まった人情が、幸せになりたいという願望から見た夢。
その夢を操ってたオカンの罪と幸せは、罪は子どもを捨てたこと幸せは「愛しとったよ」という台詞から、子どもである人情の幸せ(人情の夢、出所し生活すること)を見せることで、自分の罪滅ぼしをしている。
まあ、オカンが1番初めに登場する場面で帰れ、きしょいって言ったり、捨てといて愛しとったよって言うのは理解し難いですけど…。
主に、対比されていたのは人情とオカンだけど
最後に末澤くん演じる刑務官が
「これは、夢か現か幻か。我々は一生ここから出られません。あー、しんど。」
という台詞を言うのですが…
この台詞がとにかく、重く深いな。って思いました。
"人"は何かに囚われてるっていう比喩や
人情は出られなかった(出られたとしてもそう容易くは社会復帰出来ない)という意味にも捉えられるし
何かに操られてずっと同じ夢を見ているって嘲笑っている比喩かもしれないし
人情やあなたという言葉ではなく"我々"という言葉を使うことであなたも他人事では無いというメッセージではないかと考えました。
この台詞は本当に奥が深い。
あとこれは憶測ですが、居酒屋のスローモーションのシーンから堂々巡りっていうのも、演出しているのかなと思いました。
この辺で、考察は終えようと思います(笑)
長くてまとまりの無い考察でしたが、読んでいただきありがとうございました。
あまりミステリー考察的ではない気もしますが笑
今回の物語はすごく色んな思惑やメッセージが難しく張り巡らされてて、様々な考え方が出来るので個人的にはすごく面白く、引き込まれて楽しかったです。
まだまだ、謎は残っていますがその違和感もまた面白いなってことにしておきます(笑)
教えてくれるなら、めちゃくちゃ教えてほしい…
ただ、難しいってこともこの作品の面白さであり好きなところでもあります!
グレショーでは、ジャンルの違う演劇がたくさんあるのでぜひ見てみてこのお芝居好きだなっていうのを見つけてみてください!